2014年に公開されたディズニー映画「アナと雪の女王」は世界的大ヒットを記録し、社会現象ともなりました。
公開されてから5年も経つんですね。時の流れ、恐るべし。笑
僕にとってこの映画「アナと雪の女王」は、当たり前・常識・偏見を覆す映画として描きたかったように思うのです。
このブログのメインテーマでもあるLGBT・多様性と密接な関係があると思います。
今回の記事では僕がなぜそのように思ったのか、僕の考察をまとめていきます!
ディズニー初のダブルヒロインにした
ウォルト・ディズニー・アニメーションズはこれまでに様々な映画、特にプリンセス映画を多く世に送り出しました。
アナと雪の女王はその中でも、ディズニー初のダブルヒロイン映画として世に誕生しました。
これは時代の流れが大きく影響していると思います。
「アナと雪の女王」公開まで、ウォルト・ディズニー・アニメーションズでは「同性愛」をテーマにした作品はありませんでした。
しかし世界的な大手映画会社が「異性愛」しか描かないのは社会的に問題がありますよね。
多様性に欠けるというか、配慮が足りないというか。
そこで「姉妹愛」という形で、直接的ではない同性愛のようなニュアンスのストーリーを作り上げたのだと思います。
しかもただの一般市民のような存在ではなく王家のキャラクターを使用することにより、より印象深いものにしたかったのではないでしょうか。
アナと雪の女王の誕生によって、愛に対する多様性を描いたのだと思います。
アナと雪の女王があってこそ、ズートピアの作品につながります。
オラフの設定は必然的
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夏が好きな雪だるま、オラフ。
これはかなり不自然な設定に思えますが、きっとディズニー側は必ず入れたいキャラクターだったと思います。
雪だるまは冬が好き、何故なら夏だと溶けてしまうから。
これは皆が思う当たり前ですよね。雪は冬に降るので、夏に雪だるまは存在しません。
これをジェンダーに当てはめると、
男性は女性が好き、何故なら異性と付き合うことで子供を育めるから。
雪だるまが夏を好きだという事がおかしい?異常?
つまりここで僕が何を言いたいのかというと、
普通か異常かで物事を判断することが、正しいとは言えない!
この「普通」「異常」の判断基準は、普遍的ではありません。
様々な国、地域、言語、性別、セクシャリティなど、色々な背景があってこそ、その人の価値観が形成されます。
だからこそ人によって、正しい間違いの判断基準は違うと思うのです。
そうやって考えるとオラフが夏を愛していても変じゃないと思いませんか?
異性愛は当たり前なの?
異性愛が当たり前とされている日本で、同性愛として生きるのってかなり大変じゃないですか?
僕は学生の頃、かなり悩みました。
お前ってなんで彼女いないの?やばくね?
と言われることも良くありますよね。僕はその言葉を聞くたびに、結構メンタルをやられていました。
でもそれも時間が経てば、何も感じなくなり、
はいはい、またその話ね~(笑)
という感じになってしまいます(笑)それが良いのか悪いのかは置いといて(笑)
同性愛も異性愛も、人を愛することに変わりありません。それがたまたま同性だったり、異性だったりするだけなのです。
確かに割合としては異性愛が多いでしょう。だからといって異性愛が当たり前というのは、適切な表現だとは思えません。
同性愛について悪く言われて落ち込んだら、オラフの笑顔を思い出して!元気になれるはず!笑
マシュマロフが話せないのは?
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僕が映画を初めて観た時、こう感じました。
オラフは人間と話せるのに、なぜマシュマロフは話ができないんだろう…
この答えは、エルサの立場が関係していると思います。
英語の歌詞の中で「孤独な王国の女王」という表現がありますが、 エルサが逃げ込んだ雪山には人間が誰もいません。 エルサだけの世界なのです。
広さは違えど、この雪山は幼少期から現在まで育った自分の部屋と全く同じですよね。
エルサが逃げ込んだ雪山はエルサの世界です。この世界も言葉は必要ありません。
だからこそ、雪山で唯一のエルサの仲間であるマシュマロフには話す能力を与えなかったのだと僕は思っています。
LGBT当事者も孤独な幼少期を送った人が多いのでは?
自分のジェンダーに気付いてから受け入れるまでにはかなり時間を要したのではないでしょうか?
今となっては、僕は色々な人にカミングアウトすることができるようになりましたが、自分自身のことを自分が理解するのにはかなり時間がかかりました。
なぜ時間がかかるかというと、相談相手がいないからです。孤独の中で、1人で答えを探さなければいけないと思っているからです。
そうして、隠すことが自分のなかで当たり前になってしまうのです。
こういう経験がある当事者の方は、エルサの行動は心が痛む瞬間が多々あったと思います。
扉を閉ざしているシーン。
本音を言えずにいるシーン。
話したいけど、自ら相手を遠ざけてしまうシーン。
そんなLGBT当事者の孤独感を強調するためにも、雪山という孤独な世界、言葉を話す必要がないから言葉を話さない雪だるまのキャラクターを描いたのではないでしょうか?
プリンスが良い人というのも偏見?
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これまでのディズニー映画で登場するプリンス・王子様は、誰もが憧れるとても良い人という設定のキャラクターが一般的でした。
これも考え方によっては偏見ですよね。
そしてこの描き方は「人を見かけや地位で判断してはいけない」という表現も含まれているでしょう。
アナと雪の女王における王子様キャラクターは「ハンス王子」でした。最終的にはエルサを殺そうとする大胆なキャラクターでしたね。笑
今までの王子キャラクターは?
これまでのディズニープリンセス映画の中で、どんな王子が描かれていたのかを復習しましょう!
ここでいう王子は「王家で育った王子」であり、プリンセスと結婚をして王子になったキャラクターではありません。
映画 | 王子 |
白雪姫 | 王子様(公式の名前なし) |
シンデレラ | プリンス・チャーミング |
眠れる森の美女 | フィリップ王子 |
リトル・マーメイド | エリック王子 |
美女と野獣 | アダム王子 |
アナと雪の女王 | ハンス王子 |
美女と野獣のアダム王子は映画の中で「野獣」としての時間が長かったので、王子というべきか謎ですが、
それ以外の「白雪姫の王子様」「プリンス・チャーミング」「フィリップ王子」「エリック王子」は終始良い人でした。
ハンス王子も序盤はこれまでの王子様と同じようなキャラクターのように描かれていましたが、本性が出てからは印象が大きく変わりましたね。
これこそ「王子様は皆良い人」という考え方を覆すキャラクター設定です。
ハンス王子の描かれ方も、多様性を主張するものだと言えるのではないでしょうか。
幸せってなんだろう?
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アナと雪の女王を観てから「幸せとは?」ということを考えるようになりました。
エルサは「女王」という地位を与えられ、王国を背負って生きていかなくてはなりません。
しかし彼女には人とは違うパワーを授けられ、そのパワーを隠すようにと親に教育されました。
その結果、自分を表現できずに苦しむ生活を送っていました。
果たしてこの生活は幸せなのでしょうか?
自分という存在はこの世で1人しかいません。自分の幸せを実現できるのは、自分だけです。
結局は自分の人生を決めるのは自分です。自分のために自分らしく生きるのが一番です。
幸せになるためにはたくさんの壁が立ちはだかります。
その壁の高さは人によって様々ですが、超えていくべきでしょう。人生の間、ずっと付き合っていかなければなりませんからね。
エルサは魔法のパワーをコントロールできず、アナのもとから逃げました。しかしアナのおかげで魔法のパワーをコントロールすることができるようになり、アナや国民はエルサとパワーを受け入れることができました。
エルサは幸せを手に入れられたと言えるでしょう。
あなたにとっての人生の壁はなんでしょうか?
アナと雪の女王は奥が深い!
多様性を受け入れる姿勢を映画で表現した「アナと雪の女王」は本当に奥が深いと思います。
何度観ても新しい発見があります。だからこその世界的大ヒットとなったことでしょう。
今年は続編の映画公開を控えているので、もしお時間があれば「アナと雪の女王」を是非観てみてください!
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