以前の記事で、僕のセクシャリティについてまとめました!
僕自身は「セクシャリティが変化していった」というわけではなく、
「だんだん自分のセクシャリティがはっきりとわかってきた」という感覚でした。
そして今回の記事で書くテーマは「セクシャリティは変化するのか」です。
自分自身の経験ではなく友達からの発言を機に、このテーマについて考えてみることにしました。
すごくどうでもいいんですが
「セクシュアルマイノリティ」とはあまり言わないのに
なぜ「セクシュアリティ」という人が多いんでしょうね。笑
まあどっちでもいいか。笑
突然の結婚報告
数年前、あるゲイアプリで知り合って友達になった年上の「友達K」。Kのセクシャリティはゲイ。
当時のKは接客業が大好きなお兄さんという感じで、仕事に対する価値観が僕と似ていました。
なんだかんだKは僕のことを気に入ってくれたみたいで
俺、ばんとなら付き合ってやってもいいよ~(笑)
ばんのこと好きだし(笑)
ということを定期的に言っていました(笑)とはいえ恋愛に発展するようなことはなく、友達として仲良くしていました。
そしてお互いに大学卒業や仕事を始めて生活スタイルがどんどん変わっていくと、あまり連絡をとらなくなっていました。
先日突然、Kから連絡が来て、最初はお互いの近況報告をしていたのですが、
俺そういえば近々結婚することになった~
へーーー!おめでとう!!
どこの男の人??
いや、結婚するっていうんだから女の人だろ
え…???
今のところ日本で同性婚が認められていないから、確かに同性カップルが結婚とはあまり言わないですね。
(結婚式を挙げる同性カップルの方々いますが、「結婚式を挙げる=結婚」は微妙なところですね。)
なれるとしても現状は「同性パートナシップ制度」を利用できるだけ。しかもその自治体に住んでいる人のみですね。
でもだからといって女性と結婚するということになるとは思ってもいませんでした。
その後に僕の恋愛事情になり、パートナーがいることを伝えると
あ!男と付き合っているのか!
と言われて、なんかもやもやが残りました。笑
あれ…この人ってゲイアプリで知り合ったよな…
と、もはや不安になるレベルでした。笑
その時の僕の感情は
女性と結婚すると知ったときは
あのとき好きって言ってたじゃん!!!!!!!
という感情がすさまじく湧き上がってきました。笑
なんか無駄に失恋した気分を、なぜか味わいました。最初出会った時は「ゲイ」と聞いていたものの、結論は「バイ」なのかな〜と、モヤモヤ感が残っています。
それと同時に「取り残された感覚」を抱きました。
僕自身「結婚」という言葉にすごく憧れを感じてしまいます。それはなぜかを考えたときに、以下の3つが考えられました。
- 結婚という、法で結ばれた「形あるもの」が欲しい
- 自分の家族というものを形成したい
- 自分の子どもの成長を見守っていきたい
結婚に対する価値観は人さまざまだと思いますが、僕の中で特に3点目が大きいですね。
というのも、僕自身が母親にたくさん助けられてきました。
高校生の頃は自分自身のことを全然理解できてなくて、「なんでこんなに悩まなきゃいけないんだろう」「なぜこんな体で産まれてきてしまったんだろう」とかなりネガティブな思考から抜け出せず、
高校生の間は家族とかなり距離を取っていました。
それでも僕のことを見捨てずに色々サポートしてくれた母という存在はとても偉大でした。
感謝しているならちゃんと親孝行しろって話ですよね。笑
親孝行も頑張ります。笑
そういう背景から、僕自身も母のような親となって自分の子どもを支えたいなって思ったんです。
僕も女性と結婚すれば、この3つの憧れを手に入れることができるスタートラインに立つことができますが、
「それが本当に自分にとっての幸せなのか?」
と聞かれると、即答できません。
YesかNoかで答えられるものではないと思います。
あと「男と付き合ってるのか!」と言われた時に、この人のなかで何かの変化があったことを感じました。
以前の彼とは価値観がだいぶ違う人になっていました。
捉え方は人それぞれ
結婚にしても、セクシャリティにしても、考え方は人によって様々です。
結婚に対して強い憧れがある人もいれば、そうでない人もいる。
セクシャリティがずっと変わらない人もいれば、流動的な人もいる。
彼に対して何があったのかを突っ込んで聞けなかったので、彼自身のセクシャリティが変化したのかという真相はわかりません。
しかしずっと変わらないという保証はどこにもないんだということを学びました。
実際、僕が高校生の時に好きになったノンケくんは、その後男性と付き合っていました。笑
これは「セクシャリティが変化した」という言葉よりも、「相手がその人だから付き合った」という表現のほうが適切かもしれません。
とはいえ、「ストレートでなくなった」というのも事実でしょう。
あいつ、ゲイに目覚めてしまったんだ
みたいな言葉を聞くとかなり差別的だな~と感じます。ネガティブな感情がこもっているな~と。笑
そしてこの言葉は、捉え方が大きく2つあると思います。
1つ目が「今まで自分のセクシャリティがわからないでいたけど、本当はこれだったんだ!」と気づくパターン。
もう1つが「今まで異性にしか興味なかったけど、この人となら付き合いたい」と例外で付き合うパターン
変化と捉えるか、例外と捉えるか、それ以外の捉え方をするのか。
様々な考え方がありますが僕はこう感じました。
こういう考え方になってほしい
LGBTという言葉が日本社会にだいぶ浸透してきたように感じます。
しかし「理解が深まった」とはあまり思いません。
オープンに生活するにはまだまだ時間がかかりそう、という印象があります。
そこで僕が皆様にお願いしたいのは「男と女が付き合って結婚する」というマインドから抜け出してほしいです。
「人と人が付き合って結婚する」という考え方になってほしいです。
もちろん生命の発展には子孫を残すことが大事ということもわかっています。笑
しかし僕たちが生きる目的はそこが主軸ではないと僕は思うんです。
人生の色々なことを経験して、様々な人に出会って、その中で大切な人と巡り会って、一緒に生活していく。
この大切な人が、「男」や「女」という2つにくくらず、「人」として見てほしいです。
相手がたまたま男の人であって「ゲイ」に属するだけ。
時期によってたまたまそれが男の人だったり女の人だったりして「バイセクシャル」に属するだけ。
だから自分のことを「ストレート」だと自認している人も「この人だったら性別関係なく付き合える」と思える人に出会うかもしれません。
人生って何が起こるかわからないですからね。笑
また、この考え方が定着すれば「俺、ゲイなんだ…」と落ち込む人が減ると思います。
僕は高校生の時に性的少数派である自覚を感じてから受け入れるまでにかなり時間がかかりました。
これも人によって様々でしょうが、落ち込んで誰にも言えずに1人で悩んでいる人はたくさんいると思います。
だからこそ「誰を愛してもいい」という文化が定着すれば、もっと生活しやすい環境・社会になるのではないかと思います。
「男と女が付き合う」という前提から「人と人が付き合う」という発想へシフトしてほしい。
誰に対しても違和感を感じることなく「この人が私のパートナーです」と、当たり前のように紹介しあえる社会になってほしいです。
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