前回の記事に引き続き、今回も「こばとさん」の人生観について紹介していきます!
こばとさんはTwitterを通じて知り合ったとある読者の方で、ご自身の人生観について向き合い、記事を書いてくださることになりました!本当に感謝しています!
前回の記事【前編】では、幼少期から大学生までの人生の出来事について、セクシャリティの考え方とともに教えて下さいました。
【後編】となる今回の記事ではその続きで、大学卒業後から現在に至るまでを紹介してくれます!
引き続き後編も
お願いします!
こちらこそ!!
【社会人①】“地方”ゲイはつらいよ
sharpdesign94 / Pixabay
大学卒業後、しばらくは茨城と福島の県境付近に住んでいました。
しかし、最初の職場が合わず…。1年目はなんとか仕事をこなせていたのですが、2年目に入り、なぜか仕事が徐々にこなせなくなり、やがて周囲からの悪口が増えました。
直属の上司に発達障害と疑われ、半強制的に精神科を受診させられました。適応障害の診断が出て、職場に診断書を出したものの、受け入れてもらえず。信頼していた他の上司からも、宗教勧誘を受けたりして、もうこの職場にいられないと思い、2年も経たずに退職を決断しました。
退職し、実家のある茨城に戻りましたが、次の仕事が始まるまでの1カ月、何もする気が起きず、何も考えられませんでした。前の職場での出来事がフラッシュバックし、今後の仕事にも自信が持てなくなってしまっていました。これからの漠然とした不安ばかりが募り『自分はダメになっていくのかな…』と思いながら生活していました。
そんな時、もう一度、自分のこれまで避けてきた「セクシャリティと向き合う」ということをもう一度してみよう、と思い、行動を起こしてみました。
ネットの情報を頼りに、とあるゲイの方と出会いました。これまでの自分の悩みなどを打ち明け、相談し、真摯に話を聞いてもらえました。それを機に、アプリやSNSで同じゲイの方とメッセージしたり会ったりする、いわゆる「ゲイ活動」を開始しました。自分の住まいは都会からそれなりに離れたところで、当事者の母数も少なく、近くでの出会いもあまりありません。「ゲイ活」を初めたのは良いものの、良い出会いはなかなかありませんでした。
このような(都会から離れた地方といった)場所では、実家に住んでいて、ゲイ同士の出会いを求めるために身軽に動けないという当事者も多く、なお出会いにくい、という現状もあります。
そんな状況の中、家族からは、
あなた、そもそも“付き合う”っていう
スタート地点にも立てていないじゃない!
早く結婚して、孫の顔を見せてくれ!
といったことを多く言われるようになりました。周囲の友人知人、職場の人も結婚していく中、そもそも誰かと「付き合う」という経験すらまともにない自分は、次第に焦りを感じ始めました。
『幸せは他人と比べるものではない』というけれど、SNSなどで同じくらいの歳のゲイの人たちが付き合っているのを見たり、そういった報告を受けたりするたびに、「自分ってこんな風になれないのかな…?」と次第に自分に自信を持てなくなりました。
人を好きになるって、どういうこと?
付き合うって、どういうこと?
誰かと一緒にいたい、という理想と現実があまりにもかけ離れすぎていて、もはやこんなことまで考えてしまうようになる始末です。もう人として終わっているのではないか、とさえ思いました。
昔から、一人は慣れていました。でも、一生独りでいることは嫌だな、とますます感じています。
【社会人②】父のがんと、自分の人生の幸せ
しばらく経ち、社会人も4年目が終わろうとしているというタイミングで、父のがんが発覚。ステージ4で、手術は難しい、と。
自分の家は裕福な家庭ではなかったため、父は、自分が小さい頃から養育費などを稼ぐために働き詰めで、昼夜問わず必死に仕事をしていたこともありました。学生時代も、ほとんど顔を合わせないことが多く、少し話をしただけでも喧嘩してしまうくらい、親子でコミュニケーションをとるタイミングも少なかったのです。
これまで、僕は父が嫌いでした。BL(=Boys Love)もののドラマの番宣がテレビで流れた時に、「男同士が付き合うなんて、気持ち悪い」と発言したり、自分のやることなすことに対して必ず否定から入ったり。
父はこれまで、僕が「いいな」と思ったこと、生き方を否定することが多くありました。
でも、そんな父が、もう長く生きられないのか…
父のがんを知った時、自分は中学時代のいじめの一件を思い出しました。
あの時、父はしっかり話を聞こうとしてくれた。一人の親として。息子のことをきちんと理解しようとして。
「ああ、どんなに自分が嫌いでも、この人は自分のかけがえのない親なんだ…」
「数少ない、自分の大切な理解者が、もしいなくなってしまったら…」
そんなことを思うと、涙が止まらなくなりました。
その後、父の抗がん剤治療が始まり、何度か入退院を繰り返しました。今のところ自宅療養にて経過は良好ですが、まだどうなるか分かりません。
父のことを心の支えにしてきた母も、ふと見ると泣いていることが多くなり、心配な毎日が続いています。
母は「父は自分にとって、初めて心を許すことができた人だった」と、父の病気が発覚してから話していました。
父は昔から口が悪く、それがきっかけとなって夫婦喧嘩が起こることを昔から幾度となく見てきました。
そういったこともあり、自分は、「母は父のことを嫌っているのかな?」と思うことが多々ありましたが、今日に至るまでの父との思い出話を聞いて、実はそれ以上に母は父のことを愛していたということに気付きました。
「あなたも、時間がいくらかかってもいいから、本音を話せるような良い人、見つけなさいね」
あなたも、時間がいくらかかってもいいから、
本音を話せるような良い人、見つけなさいね。
と、母は眼に涙を浮かべながら自分に話しました。「良い人」とは、おそらく異性のことを指していると思うのですが(笑)なんだか不思議と、その言葉が胸に響きました。
自分も、できたら(同性の)良い人、見つけたいよ…
そんなことを思いつつも、諸々落ち着くまでは、一家の長男として、しばらく近くで見守りたいと思います。
実は、家族の中で唯一、妹にはカミングアウトしました。
ほんと?
じゃ私、結婚頑張ってしなきゃね!
と、すんなり理解してくれました。その言葉でかなり自分の荷も軽くなりましたが、将来的に、もしかしたら妹にも自分のことで負担をかけてしまうこともあるのではないか、という思いも出てきています。
妹にカミングアウトしたのは良いものの、なんだかなぁ、という複雑な気持ちでいます。今住んでいるのが実家で、妹が近いうちに結婚して家から出て行くとなると、長男としてこのまま家から出ず、一生暮らしていくことになってしまうのかな…と、既に途方に暮れています。
自分はどうなってしまうのだろう、これからゲイとして良い出会いなんてあるのかな、と漠然な不安を抱えているのが現状です。
【現在】体裁を保つか、「自分」を貫くか
父の一件もあり、今後の人生を考えた上で、やはり親を安心させるために、自分の心に無理をしてでも結婚して、子どもをつくった方が良いのかな、と思うことも多くなりました。
ただそのことを考えた時に、「本当にそれで良いのか?」とも思うようになりました。
自分の心に嘘をついて生きることは、いわゆる自分を殺して生きることと同じなのではないか、と。結婚して社会的な体裁は保てたとして、両親に安心してもらえるとして、本当に「幸せ」になれるのか、と。
自分は今、ゲイを貫き通すか、普通の人のような結婚を目指すか、の分岐点に立っているのかな、と思います。
セクシャルマイノリティの方々は、このような思いを持ち、悩まれている方も多くいらっしゃると思います。特に、地方に住まれている当事者の方々は尚更でしょう。
【これから】「自分らしさ」を活かす、生き方を。
現時点での僕は「ゲイを貫き通す」生き方をしたいと思っています。
これから良い出会いに恵まれるのか分からない。もしかしたら一人で生きていかなければいけないという、不安もある。ただ、自分自身に嘘をつく生き方だけはしたくない。
仮に女性と結婚したとしても、その先の幸せは保証できないし、嘘の気持ちで結婚しても相手に申し訳ないと思うからです。
ただ、これからの生き方で、その考えもまた、変わるかもしれません。その時は、またじっくり、納得のいく選択を考えようと思います。
今、性の多様性が各所で話題となる昨今、メディア、SNSなどの表舞台に出ている方たちは、パートナーがいる人、それなりの社会的地位がある人、など、発信して説得力を持つ方々が多い、という印象を個人的に抱きます。
ただ、「自分が本当はこうしたいのに、何かの事情で、何かの障壁で、自分らしい生き方ができないでいる」。自分のように、心では思っていても声を上げづらい状況にいる人たちは、この世にたくさんいらっしゃると思います。
この文章が、今、同じような悩みを抱えている人たちのひとつの道標になれば幸いです。自分も自分自身にとってのベストな幸せの形を、これからも模索し続けたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
2回にわたって
本当にありがとうございました!!
皆さんありがとうございました!
またどこかでお会いしましょう!
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