今までの人生で、あなたはどんな経験がありますか?そして、そんなエピソードが思いつきますか??
僕はこれまでの人生、本当に苦労して苦労して、苦労しました(笑)思い出したくないような経験がたくさんあります。笑
このブログにたどり着いたあなたもきっと、僕のようにたくさんご苦労な経験をしてきたことでしょう。少しでも孤独感を払拭できたら良いなと思い、僕の経験談をたくさん書き出しました!
「こんな経験をしてるのは俺だけかな…」と思っている人も、少しだけ僕の人生を覗いてみませんか??
この記事を見れば、
僕がどんな人物なのかがわかります!
【幼少期~小学生】山と海に囲まれた、超ド田舎で成長する
僕は本当に田舎で育ちました。
コンビニやマックがなければ、チェーン展開しているものは何一つありません。
夜9時になれば外は何の音も聞こえません。聞こえるのは風の音だけ。
そんな大自然の中で僕は育ちました(笑)
【中学生】転校を経験し、東京都内へ移住する
そんな田舎生活から、突然東京に引っ越すことになりました。
転校するってなんかちょっとカッコいいイメージありません?笑望んでもなかなか経験することができないことなので、今思えばとても良い経験になりました。しかし実際は、
転校なんてするもんじゃない!!!!
と当時の僕は思っていました。
もうすでに人間関係が構築されている社会の中に、1人だけ新しい人間を放り込まれても、どの人と話すべきか全くわかりません。
しかも友達の輪に無理矢理入るのもなんか違うし、そもそも友達ってどうやってつくるんだっけ?という感情ばかりで、転校当初は学校に行っても全然楽しくありませんでした。笑
20代になった今でも仲良くしている中学からの友達がいるので、結果的には良かったと思います。しかし極力転校しなくて済む人生のほうが良いと思います。笑
【高校生】僕自身のセクシャリティが人とは違うことを認識
高校時代の僕は、自分のセクシャリティがまわりの人と違うことを徐々に気づいていきました。常にセクシャリティに関して悩んでいたように思います。
「まわりの人と違う」ことが当時の僕は本当に嫌で、極力まわりの人にバレないように怯えながら生活していました。
ゲイの僕は、クラスメイトのノンケくんを好きになった
このブログを始めるきっかけともなった出来事でした。クラスメイトのノンケくんに対する恋愛感情に気づいてからは、セクシャリティに対する悩みが更に大きくなりました。
当時の僕は、僕自信が同性愛者であることを受け入れられてなかったので、毎日生きることが本当にしんどくて、生きる意味ってなんだろうと毎日考えていました。
皆が笑顔で生きているのを見ると疲れ、自分も笑顔で生活しなきゃいけないと思い込み、無駄に笑顔でいようとすると余計に疲れていきました。
この頃の経験によって、
メンタルが強くなったんだと思います(笑)
人生初のカミングアウト
ノンケくんを好きになったのを機に、僕は徐々に自分のことをカミングアウトして、本音を言える友達づくりをしていきました。
何事も最初の一歩って本当に怖いものです。今でも何か踏み出すときは躊躇します。しかしこのときの一歩を大きく踏み出せたからこそ、素晴らしい友達にたくさん出会えました。
それと同時に、僕はまわりの友達に本当に恵まれていると自覚できました。高校時代の友達は今でも仲良くしてくれる人が多く、人生の大きな支えになっています。
一歩を踏み出す勇気、本当に大事です。
3年間クラスが一緒だった友達が亡くなる
高校3年生の6月、3年間クラスが一緒だった友達が亡くなったことを知りました。
もともとその友達は持病を持っていました。学校に来るとしても10時くらいに登校し、お昼休みに親が迎えに来て下校するという生活。
友達が登校した日は、お昼休みになると校門まで付き添い、友達の親の迎えがくるのを一緒に待つのが、高校1年生からの僕の日課になっていました。
高校3年に進級する頃はかなり深刻な状態で、酸素ボンベをしながらでないと生活ができない状態でした。しかし彼は勉強が本当に好きで、学校に来るのを楽しみにしていて、大学に入学するために勉強を頑張っていました。
そんな彼が、僕と同い年の彼が、亡くなったという話を聞いても全然理解できず、僕は毎日毎日泣いていました。本当に泣くことしかできず、受験勉強をする気にもなれませんでした。
当時まだ身内が全員元気だったので、人が亡くなるということが理解できていませんでした。こんなに悲しいことなんだって思いもしませんでした。
ちゃんとお別れをしたかったので友達のお葬式に行きたいと担任に伝えたところ、
「いいか、その気持ちは大事だが、保護者の気持ちも考えてあげなきゃいけないぞ。同い年の元気な子たちの姿を見て胸を痛めない親はいないと思う。俺たちは俺たちなりのするべきことがあると思うぞ。」
と言われました。
結局お葬式には行くことはできず、今でもお墓の場所すら知りません。しかしこの出来事を機に、僕は僕の人生を精一杯生きようと決めました。それがこの友達に対する感謝の伝え方でもあり、友達のことを忘れないためでもあります。
この出来事を機に、
今まで背いていた僕自信のセクシャリティについて
しっかりと向き合うことを決めました。
【大学生】様々な場所でトラブル続きの時期
大学生になり、僕は徐々に自分のセクシャリティを肯定的に受け止めることができるようになり、パートナーを探す修行を開始しました。
そのためにゲイアプリなどを利用して様々な人と会ってみたのですが、かなり痛い目に会いました。それも一度だけでなく、何度も。笑
人生初リアルは、本当に忘れもしない経験になった。
この夜のことは忘れもしない。笑
自分で言うのも恥ずかしいのですが、当時の僕は本当に純粋だったので、夜の営みについての知識が本当に乏しかったです。本当に恥ずかしい…笑
「家に遊びに行く=友達の家でゲームとかしながらワイワイする」というイメージしか持っていなかった僕。ましてや「ヤリ目」という言葉も、当時の僕は正直知りませんでした。
精神年齢がまだ本当に幼くて、自分の考えと社会の考えのズレにショックを受けました。笑
この経験から徐々に自分に対する目だけでなく、社会にもしっかりと目を向けようと思うキッカケになりました。
1番失敗したリアルは、死ぬことを覚悟した。
大学生の当時、特に忘れられない経験が、人生で初めて「今日でもう死ぬんだ。」って思った出来事でした。笑
初めてのリアルから少しずつ学んできた僕でしたが、未だにパートナーはいませんでした。そんな時、アプリで仲良くしていた人と食事をすることに!
今までの失敗を反省してリアルに挑んだものの、アルコールの強いお酒を飲んでしまい意識がもうろうとなり、気づいたらカラオケに僕はいました!その後が本当に大変でした…笑
この出来事で人間不信が強くなってしまい、それからしばらくの間はリアルするのをやめました。
ナイフを持ち歩いている人と
リアルするのはやめましょう。笑
自分の命が大切。笑
高校の友達Eとの再会
高校生の時好きだったノンケくんへの恋愛感情を吹っ切ることができていなかった当時の僕。そんな時に、高校時代の友人Eから突然連絡が来て、再会することになりました!
友人Eは高校生のときは男子として生活していましたが、再会したときは女性になっていました!
そして友人Eとの再会によって悲しい過去の事実を知ってしまったのですが、自分のセクシャリティが少しずつわかるようになった、大きな日になりました。
日常生活ではノンケっぽく
徐々にカミングアウトしていたものの、やはり大半の人には「セクシャルマイノリティ」として見られることが嫌だったので、いかにノンケっぽく生活するかを必死に考えていました。
この時期すでにカミングアウトしていた友達に、当時の僕のことを聞いてみると
なんか色々必死すぎて、
多重人格がんばれ~って感じだった(笑)
と言われました(笑)
確かに相手によって言うこと変えたり、昼と夜で会う人も全然違うし、頭と体が色々忙しかったです。
人間関係が荒れていた①
ノンケのふりをしていたので、女性から言い寄られることはよくありました。
1対1ならなんとでもなるのでそれほど大変ではなかったんですが、同じアルバイト先で同時に3人に狙われていたときは本当に大変でした。笑
当時はまだ、オープンに生きることに抵抗感が強く、自分がどうやって生きていくべきか悩んでいました。
しかし「色々必死になって隠す自分」がバカバカしく感じてきて、この頃から少しずつカミングアウトする相手を広げていくようになりました。
人間関係が荒れていた②
そしてゲイの方々とも仲良くし始めたこの頃。ワンナイトで終わる人が多かったんですが、少しずつ友達と呼べるような定期的に会う人ができてきました。
そんな中、とある仲良くしていたゲイカップルから、2人の間に入ってしまい三角関係になってしまいました。
このゲイカップルとは、良き友達として仲良くしていたつもりだったので、僕自身揉め事に発展するとは思っていませんでした。皆さまお気を付けください。笑
人間関係が荒れていた③両親の離婚
人間関係が乱れると、連鎖するんですかね?昔から話は上がっていたのですが、とうとう両親の離婚が決定しました。
僕はこの時期、父親のことが本当に嫌いだった時期でした。
離婚が決まったとき「ばんは離婚することに対してかなり喜ぶ」と家族全員が思っていたようです。しかし実際の僕がなんだかんだ悲しい気持ちが強かったです。
父に対して「嫌い」という感情が消えていたわけではありません。嫌いとはいえ、家族の一員であったことに変わりないし、感謝している部分もあります。そんな「父」という存在がいなくなることは僕にとって大きな出来事でした。
とはいえ、
それ以降会っていないので
今生きているかもわかりません。笑
【社会人】何歳になってもトラブルは続く…
社会人になっても、トラブル続きの人生を送っていました。笑
恋人と付き合って、別れる。
社会人になった僕は、人生で初めてパートナーができました!付き合うことになったとき、「僕はこの人に出会うために生きてきたんだ〜!!!」って本当に思いました(笑)
しかしそう思ったのも一瞬で、付き合ってからは気持ちがすれ違うことが多くて、かなりしんどい思いをしていました。それはきっと僕だけでなく、お互いにだったんだと思います。
その後、自分自身のことや家族のことでバタバタしている時期があり、パートナーとの時間をうまく作れませんでした。そんなときに「別れてほしい」という言葉を投げかけられました。
僕自身のメンタルがかなりやられているときだったので、彼の言う言葉に何も言い返せない僕。付き合うってなんなんだろう。
過労で帯状疱疹になる
飲食店で働き始めた僕。その頃人手不足が深刻、かつお店が回っていないストレスで「帯状疱疹」になりました。
帯状疱疹になった週は本当に過酷なシフトで、家に着いた瞬間玄関で気絶するように寝ていたと家族に言われました。笑
帯状疱疹になったときは、痛すぎて動くことができず、夜は痛みのせいで眠ることもできません。
病院に行くと「典型的な過労」だと言われ、1週間仕事を休みました。過労しても良いことは全然ありません!お気をつけください!笑
当ブログを始める
そして2019年4月、僕はこのブログを始めました!独学でゼロからのスタートだったので、本当に苦労しました!笑
最初は全然アクセス数がない平凡なブログでしたが、今では様々な読者の方々がメールをくれたり、毎日LINEするなど、交流が増えてきていてとても楽しいです!
いつも読んでくださる皆さん、
本当にありがとうございます!
パートナーと同棲を始める
僕はもともと東京に住んでいましたが、岡山県に住む「たけたん」と遠距離恋愛をしていました。
「いずれは一緒に生活をしたい」という気持ちがお互いにあったため、この度同棲を始めました!!
僕にとっては慣れ親しんだ東京という街を離れることになったので、大掛かりな引っ越しになりましたが、結果オーライ!笑
たけたんの家族とも定期的にご飯を食べるなど、皆親切に接してくださるのでとても満足しています。
コロナのせいで、すぐに転職することに…
同棲開始するとともに、東京から岡山へ引っ越すための転職活動も同時にしていました。遠方の転職活動はなかなか大変だったのですが、無事に岡山県内でも大手のホテルに転職が決まりました。しかも「時間帯責任者」という肩書付きで。笑
たけたんの家族の近くに住むのだから、見栄ってわけではないんですが「しっかりと仕事をしている人間なんだぞ!」というアピールのためにも転職活動は頑張りました。
この内定をもらったのが、2019年12月。そう、新型コロナウィルスが世界的に流行する前の段階でした。
その後世界的に新型コロナウィルスという未知のウィルスによって生活は一変しました。宿泊稼働率が常に90%超えるホテルだったのが、忙しくて40%、暇だと15%という世界になってしまいました。
夏までは頑張って働いていたのですが、とある夜勤明けの日に社長に呼び出されて面談をしました。その内容は「昇進をしないか?」という内容、率直に嬉しかったのですが今後の会社の経営予測について聴いてみると「2024年頃までは赤字体質、社員のボーナスは全面的にカット予定」とのことを言われました。
この仕事量でこの給与で、さらにボーナス全額カットは割にあわないし、それがまだ数年先まで続くことを考えると、生活的にも厳しいと感じ、転職を決意しました。
ちなみに2021年夏のボーナスも
全社員カットされたそうです。
厳しい世の中ですね…。
コロナが落ち着いたら、絶対に宿泊業に戻りたいと考えています。いや、絶対に戻る!!
僕の人生はこんな感じ!
様々な出来事が起きる僕の人生。だからこそこのブログを開設して、こうやって色々な人に知ってもらいたいのです!
もしかしたらこれ以上につらい経験がこの先に待っているかもしれません。それも含めて僕の人生と、最近は前向きに考えられるようになりました!
僕の経験談を読んで、少しでも明るい気持ちになれたり、孤独感を払拭することができたら嬉しいです!
これからも自分のペースで
少しずつ更新していきます!
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